2005年4月18日

「守ろう人権。なくそう差別」
 これは、どこの標語かわかりませんが、とにかく私の故郷で、よく公民館とかに張られていたものです。
 そのままに意味をとると、「人権を守って、差別を根絶しよう」と呼びかけているのでしょうが、この「人権」と言うものが果たしてどういったものなのか、もやがかかったように、意味が見えてきません。
 早速、手元の辞書で意味を引いてみましょう。

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人権 【じんけん】
?個人が自然にそなえ持っている権利。
?人間が人間であることで持つ権利

差別【さべつ】
 けじめをつけること。ちがい

   講談社国語辞典(昭和四十一年刊)

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 私の使っている辞典が、恐ろしく古い所為か、以上のような意味が出てきました。
 差別の方はわかりやすく、「区別すること」または、「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること」とかの意味が見て取れます。
 しかし、人権の方はどうでしょうか。
 見るからに、抽象的と言うか、逆に「何?」と聞き返したくなります。
 それもそのはず。「人権」なる言葉は、元々日本にはなかった言葉なのですから。
 革命や社会などと同じように、「right of man (直訳:人の権利)」を偉大な先人方が訳されたのです。
 「革命」が、明治維新をおいて悠久の日本史のなかに他に例を見ないのは、この意が元々なかったからではないでしょうか。
 その、もやがかかった言葉が、国の最高法規「日本国憲法」の三本柱の一つなのだから、おかしいことこの上ないのです。もとい、この憲法は、書いたのは日本人とはいえ、圧してきたのはGHQだから、いきさつを鑑みると納得してしまうのですが。
 さて、この人権。中学三年で習うであろう公民で、基本的人権とは、「人が生まれながらにして持っている、人として当然の権利」で、「自由権」「社会権」「参政権」「受益権(賠償請求権)」である、と習ったはずです。
 つまり、憲法では、人権とは「思想や宗教・職業を自由に選択でき、健康で文化的な生活を営み、政治に参加し、国や地方自治体に対して意見を言える」ことなのです。

 ですが、世の中で「人権」というと、前述したこと以外にも意味が追加されます。
 それが、一番初めに持ってきた標語「守ろう人権。なくそう差別」です。
 つまり、人権とは、「人が生まれながらにして持っている、人として生きる権利は、『誰しも差別なく』持っている」というのです。ただの法律用語が、いつの間にやら神輿です。

 甚だ疑問ですね。
 そもそも、差別のない社会なんてものが実現するということさえありえない。
 差別と言うのは、ある種この世で必要悪なのです。
 差別がなければ、世の中はうまく回りません。共産主義が砂上の楼閣だったように、極論「反論するもの皆粛清!」という事態に陥ります。

 市民団体を自称する中には、些細なことで「差別」と思い込み、理不尽な感情を押し付けて、自分達の利権を取るような奴らもいます。
 何が市民団体なのでしょうか。その名を冠すること自体おこがましい。
「私たちは差別されています。だから何をやってもいい」
こんな道理、通るわけありません。
「ユダヤ人は昔大量虐殺された。だから俺たちは何を言ってもいい」
「日帝が搾取した。だから謝罪と賠償をいつまでもねだる」
 ……被害者の仮面を被った加害者には、閉口いたします。

 日本の「人権」とはただの法律用語に過ぎない。
 そもそも、そんな概念などない。「人権」など考えなくても、普通に生活できてきたのである。

 それが、「人権」と言うものを肥大化させ、恣意的に拡大解釈されたり、加害者の隠れ蓑にされるようでは、絶対にいけません。

コメント

nophoto
むの
2015年11月29日7:16

>そもそも、そんな概念などない。「人権」など考えなくても、普通に生活できてきたのである。

だったら北朝鮮に移住しろよ。人権なんか考えなくても普通に生活できるんだろ?