また少女監禁事件が起こりましたが……
この手の事件で危惧していたことがやはり起こりました。

今回の少女監禁事件の小林容疑者は、少女に首輪を付けて鎖をドアノブに掛けたり、「ご主人さまの命令」として少女が少しでも抵抗すると殴るけるの暴行を加えていたというのです。
ほとほと、こんな奴がいることを許せませんが、今回はそれがポイントではありません。

私は、この報道は、NHKを見ていて知ったのですが、そのときの一コマ「小林容疑者の自宅からは、ゲームやアニメ約1000点が押収され……」と。
このとき、「また叩かれるな」と直感いたしました。もちろん、18禁の美少女ゲームや漫画などが。

以前も、幾度かこういった事件が起こるたびに、マスコミは「アニメが悪い、ゲームが悪い」と報道し、特に犯人が未成年なら、これを盾に未成年を擁護します。
私は、小説ほどではありませんが、ゲームが好きですし、漫画も読みます。
18禁とは言いませんが、美少女ゲームを知らないわけでもありません。

こういう私などを、マスコミは犯罪者予備軍に仕立て上げるのでしょうか。まぁ、私の場合どっぷり浸かってませんからそれも無いでしょうが。

昔は「映画を見ると不良になる」「漫画を読むとバカになる」と言われていたこともあるようです。
しかし、映画が芸術作品として見られるようになった今日では、前述のようなことを言う人は最早いません。
漫画でも、まだ完全とは言いませんが、ある程度認められてきています。
さて、ゲームはどうでしょう。
何年か前の「ゲーム脳」騒ぎでもそうですが、未だにそれが言われ続けています。
たがだか、テトリスを延々と三時間やらされれば、誰でもストレスを感じたり、思考停止に陥ります。それに、脳波の概念すらまだ確立していないと言うのに、それを根拠とした「ゲーム脳」なるものに、世間はだまされているのです。

18禁ゲームについても、それに関するアニメや漫画もそうですが、「児童ポルノ排斥運動」などという言論統制運動によって十二分に傷つけられてきました。

ゲームを批判する者は、ゲームを知らないで批判している場合が多い。

そして、18禁ゲームを批判するものは、多くの場合、ただの感情論です。

私は、新しいメディアとしてこれらを高く評価しています。

無理解から起こるこの現状を、いかに打破していくか、我々は考えなければなりません。

犯罪の原因を、犯人に向けずに新メディアに向ける行為とは、断固として戦う必要があります。
そして、「犯人と同じことをしていた」という理由だけで、18禁ゲームユーザーを、犯罪者予備軍として括るマスコミにも。

新しいメディアは、いつの世も初めは無理解による不当な排斥が伴います。
しかし、いつの日か理解されるものです。映画がそうであったように。
自由とは、不断の努力によって成り立つのです。
文化とは、現状を維持することではなく、よりよい方向へ向かおうと努力し続けることによって成長するのです。

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