本多勝一「ジャーナリズムの第1のつとめは権力に対する監視役」
2005年12月5日 政治ジャーナリストの恥(週刊金曜日)
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol584/fusokukei
根性ひねくれてる様がよくわかるというか……
そしてこんかい最大の突っ込みどころは、
>ジャーナリズムの第1のつとめは、体制権力に対する国民の側からの絶えざる監視役であって、補完役や広報役ではないのだ。
確かに、そうかもしれませんが、捏造をしてまで権力を失墜させようとする本多記者に言われても説得力皆無です。
ホロコースト否定を、まるで妄言のようにあつかうあたりも、彼らしいですが……
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol584/fusokukei
「勲章」とか「ジャーナリスト」って何だろうか。その本質まで考えざるをえなかったのが、先月3日に発表された「秋の叙勲」である。戦後最悪の記者のひとり、本多勝一の文章なので、いろいろとおかしいところが満載です。
体制側権力による叙勲など何の関心もないから、記事も読みはしなかった。しかしかつて在職した朝日新聞社の編集委員室OB7人らとたまたま飲む機会があったとき、私と同期入社の1人がこの「勲章」を受けとったことを知ったので、あらためて当日の新聞を見てみた。
あった。旭日中綬章の桑島久男氏。
最初に彼に会ったのは、新入社員がごく短期間の記者訓練を受けたときだ。以後何十年間かの現役記者時代に彼がどんな記事を書いたのか、在席7人のだれもがついに思い出せなかった。
新聞社の社長職(経営者)には記者出身者がなるべきではないという説があり、私もこれに原則的には賛成だが、ジャーナリストとしての実力も明らかにあった例が多い。私がベトナム報道に熱中しはじめたころ『朝日』の社長になった広岡知男氏をはじめ、一柳東一郎氏や中江利忠氏。しかし50歳以前から管理職の道を歩みだした桑島氏に、それは思いだせない。しかも前述の三氏等は、叙勲など受けとらなかった。『読売』の“ナベツネ”さえもらっていない。
もともと叙勲制度そのものが批判に揺れている。ましてジャーナリストがこんなものを「天皇陛下」から「いただく」など論外であろう。ジャーナリズムの第1のつとめは、体制権力に対する国民の側からの絶えざる監視役であって、補完役や広報役ではないのだ。
しかし桑島氏は、むしろジャーナリズムとは逆の働きに力を注いだ。たとえば「ナチ・ガス室はなかった」という記事を掲載して雑誌の編集長としての責任を問われ、解任・謹慎中の文藝春秋・花田紀凱氏を出版局に入れて新雑誌を編集させたのは、当時の出版局担当役員だった桑島氏だ。まるで売れないばかりかジャーナリズムとは申し難い低劣な内容で大損害を生じさせた。社内からも湧き上る批判の大波に、花田氏は『朝日』から去らざるをえなかった。
単に経営手腕がなかっただけなら仕方あるまい。それがジャーナリズム精神とはおよそかけ離れた精神とセットだから問題なのだ。そんな“ジャーナリスト”だから「叙勲」も拒否せずに喜んで受けとるのであろう。
根性ひねくれてる様がよくわかるというか……
そしてこんかい最大の突っ込みどころは、
>ジャーナリズムの第1のつとめは、体制権力に対する国民の側からの絶えざる監視役であって、補完役や広報役ではないのだ。
確かに、そうかもしれませんが、捏造をしてまで権力を失墜させようとする本多記者に言われても説得力皆無です。
ホロコースト否定を、まるで妄言のようにあつかうあたりも、彼らしいですが……
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